第一章
第一章 変なやつ、今日はへんな日
七月一日、夏がきた。グラウンドも校舎もまぶしい。
廊下と教室、全ての窓が全開だ。風は色あせたカーテンをもてあそび、次々に大空へと飛びたっていく。
西校舎の三階に、六年生の教室が並んでいた。 古くから使われているせいだろう。教室は全体的にすす汚れ、薄暗かった。一クラス三十八人の生徒達がひしめきあっていた。
六年三組、二時間目の授業は算数だ。教卓の上にはひときわ大きい教科書が開かれている。問題と共に、拙いキャラクターまでカラーコピーされてある。学級担任は、どんとした体型のおじさんだった。
生徒の様子は、実に様々だ。ノートを取る子ばかりではない。この後にやってくる、二十五分休憩に何をして遊ぼうか考えている子もいた。先生にばれないよう、小さなメモを回しあって遊んでいる子もいた。
そんなクラスのなかで一人だけ、開いている教科書のページがさっぱり違う女子がいた。
重上 未珠花(えかみ みずか)
未珠花の黒髪は、右側でまとめられ、鮮やかなオレンジ色のハンカチーフで結んである。私服で通学できる小学校とはいえ、彼女の服装は半袖にズボンとありきたり。髪飾りのハンカチが目立つくらいだった。
そんな未珠花の頭は、先ほどからずっと不規則にゆれ続けている。一番後ろ、しかも窓ぎわにある彼女の席には、暖かい陽ざしがよく降り注ぐ。なるほど、眠たくなってしまっても仕方ない。
未珠花の隣の席はというと、さも大人しそうな顔つきの男子が座っている。アメシスト色の虹彩が印象的だった。
彼は、別に未珠花が眠りかけていることを先生に通報するわけでなく、かといって起こしてあげることもしなかった。ただ静かに、授業を受け続けていた。
「えぇーっと……」
未珠花は何度となく目をこする。先生が何やら唱えながら、黒板に大きい図形を描きはじめたのは知っている。しかし、睡魔にのっとられた彼女に、先生の声は入ってこない。黒板に描かれた図形は、どこかの石壁に描かれた不思議な暗号か。それぐらいにしか見えない。困ったことになった。
「うーん……」
視界はぼやけていく一方だ。それでも未珠花は、手を動かして、ノートを取ろうとはしていた。それもそのはず、黒板にはられた紙切れには、次の文言が書かれてあったから。
収集係は今日の放課後、算数ノートを
あつめて先生に渡すこと
いわゆるノートチェックがあるのだ。のんきに寝ている場合ではないとわかっていた。しかし、睡魔はなかなかしぶとく立ち退いてくれない。
キーンコーンカーンコォォン
キーンコーンカーンコォォン
チャイムの音で、やっと睡魔から解放されたのだった。
「はい日番、あいさつは」
先生に促され、男女二人組がぱっと立ち上がる。
「きりーつ」
日番のかけ声に、生徒が一斉に立ち上がった。
未珠花も、よろめきながらも、遅れて立ちあがる。
「れーい」
生徒はめいめいに頭をさげた 。一部の男子は、礼をさぼって廊下へ飛び出した 。
「ドッヂしよーぜっ!」
やんちゃな男子達は、騒ぎながら廊下を駆けていく。教室じゅうが、授業が終わった喜びにあふれかえる。
「あー、眠たかった」
未珠花はのびをした。授業中あんなに眠かったのが嘘のよう、今では視界も頭もすっきりしている。
開きっぱなしのノートに視線をおとす。眠たくて苦戦したが、それでも本人は書き上げたつもりでいた。しかし悲しいかな、現実はひどい有様。不要な線やミミズ文字がずらり。何が書きたかったか、本人でもさっぱりわからない。
「あーあ、やっちゃった」
未珠花は小さくため息をついた。
「このままじゃ、やばいよね」
黒板はすでに先生に消されてしまっていて、わからない。隣の男子に助けを求めようとした。
「居留江くん……」
しかし、居留江(いるえ)はもういなかった。常に本を持ち歩く彼のことだ。休憩時間が始まって早々、図書室にでも行ったにちがいない。どうしたものか、困り果てていたら。
「ねぇ、みずかったら!」
「っへ?」
背の高い、メガネをかけた女子が、教室の椅子や机をぐいぐいかきわけて近寄ってくる。未珠花の親友の一人、丸井(まるい)だ。ワンピース姿がお似合いだった。
「なにボーっとしてんのよ! まったく。また授業中、居眠りしていたんじゃないの?」
「まっ、まぁね……」
未珠花の苦笑いに、丸井は眉をひそめた。
「笑い事なんかじゃないわ! また、夜遅くまで受験勉強をしていたの? 無理しちゃって」
「うん……おかげで、すごく眠いや」
未珠花は思わずあくびをした。
そう、彼女はクラスの中でもめずらしく、中学受験をひかえる受験生だった。しかも、賢さを認められてしまった彼女の『志望校』はというと、地元でも名高い難関校なのだった。
なるほど、最近の彼女は毎日のように塾に通い、夜遅くまで授業を受けなければならなかった。塾で出される宿題は、桁違いに量が多く、難しい。さらには模擬テストや小テストにも追われ、成績の推移に一喜一憂していた。
家に帰っても疲れが取れることはなく、もれなく両親からの成績尋問にあうのだった。あげくの果てに、学校で居眠りするようになってしまったのだ。
「ねぇ、顔色悪くない? 保健室に行かなくてもいいの?」
「ううん、大丈夫。今日は久しぶりにクラブがあるし!」
未珠花の笑顔に、やっと丸井は頬をゆるめた。
未珠花と丸井は六年生になってからというもの、クラスで一番といって過言でないほど仲が良かった。なるほど二人は同じクラブ、バドミントン部に属している。
特に未珠花は、わずか一年間だがバドミントンの習い事をしていたこともあった。塾の忙しさに、習い事は辞めてしまったが、その分、月に一回ある学校のクラブ活動を心待ちにしてきたのだ。
丸井は念を押した。
「クラブがあるからといって、無茶はだめだよ?」
「大丈夫だってば。さっきいっぱい寝て元気になったもん」
「……。」
丸井はあきれ顔で言う。
「みずか? もしかしてまたノートとれてないなんて、言わないでしょうね?」
「そ、そんなに大きな声で言わないでよ。先生に聞かれたらどうするの」
未珠花はあわてて教室を見渡す。
数人ほど生徒が残っているだけで、先生の姿はない。ほっとして前を見、ぎょっとした。そこには丸井の、冷たい光を放つメガネレンズが、ふたーつ。
「ご、ごめんなさい。寝ていてノートをとれなかったの。というか、頑張ってとろうとしたけど、」
頭にミミズ文字の集団がよぎる。
「言い訳はいいわ」
丸井はぴしゃりと問いただした。
「用件はひとつだけなんじゃないの?」
「うん」
未珠花は手をあわせて頼みこんだ。
「ノートを貸してくださいっ!」
「やれやれ。思った通りね」
丸井は後ろの机に手をまわすと、自分の算数ノートを差し出した。
「はい、これ。給食の時間までに返してね?」
「わぁ、ありがとう!」
「あと、今日くらいはちゃんと寝なよ? 宿題が残っているからって、無理して体こわしたら、何もできなくなっちゃうんだから」
「はーい」
「本気で心配してるのよ?」
未珠花は真剣な表情でうなずいてみせた。未珠花のかしこまった顔つきの面白さに、丸井が笑う。つられて、未珠花自身も笑った。
丸井は未珠花と違い、受験生ではないし、塾に通うこともない。けれど純粋に、未珠花のことを心配し、気遣ってくれた。その友情と優しさが、未珠花にとってどれほどありがたかったかは、言うまでもない。
「みずかー、まーるちゃん、遊びにいーこう!」
二人同時にふり向いた。教室のドアの向こうには、小柄な女子が一人。飛びはねながら、こちらへ手を振っている。
彼女は、小峰(こみね)。今年は異なるクラスになってしまったが、それでも小峰は、丸井や未珠花にとって、大事な親友だった。丸井がすかさず返事をする。
「今行くよ! ね、未珠花もさ、遊びに行こう?」
未珠花は首を横にふった。
「ごめん……いいや。早くノート写さなきゃいけないし」
「えーっ?! みずか、遊ばないのー?」
がっかりしている小峰に「ごめんね」と、未珠花は謝ることしか出来ない。丸井一人だけ、小峰の元へ向かった。何やら話し合いを始める二人。席についた未珠花に、丸井から声がかかった。
「みずかーっ」
「なにーっ?」
「私たち花壇で花の水やりしているから、さっさとそれ仕上げておいでよ!」
手をふりながら、小峰も言う。
「みずかが来てくれるの、まーってるからねー!」
「わかった、ありがとう! 先に行ってて」
未珠花の返事に安心したのだろう。丸井と小峰はそろって駆け出していった。
「はぁ……」
座りなおした未珠花から、笑顔が消える。
ひきだしを引き出す。遊びに行けない本当の理由が、そこにあった。様々な円が並ぶプリント。それは、魔法世界にとって重要な『魔法光陣』の一覧表だった。今日の放課後、塾の小テストに備えて、これらを暗記しないといけなかった。
この物語が繰り広げられている舞台、動霧星(どうむせい)には、魔法と共に暮らす民族が複数存在する。使える魔法は民族ごとに異なっていた。そのため、魔法と共に出現する魔法光陣にもまた、民族の特徴が認められた。
一方で、未珠花のように、魔法とは無縁の民族もある。それは『自然人(じねんびと)』と呼ばれた。
未珠花のいる島国、自然国(じねんこく)は、自然人の国だ。なのでめったに魔法は見かけない。周囲に影響を及ぼす魔法の使用が禁じられているくらいだ。
自然人には、魔法が無くても電気技術があったので、生活には困っていなかった。教養として、魔法大陸にいる魔法民族の種類と、代表的な魔法光陣の形を教わっていた。中学入試の社会科で頻出の出題範囲になっていた。
いくら丸井のノートをうつし終えても、まだこの一覧表がうる覚えだ。このままでは塾の小テストを乗りこえられない。未珠花には、友達と遊ぶことよりも、勉強を優先しなければいけない事情があった。
「あーあ、一緒に遊びたかったのに……」
一覧表ごと、引き出しを押しこむ。まずはノートから仕上げよう。算数ノートを乱雑に開けた。例のミミズ文字集団が、まっさきに出てくるはずだったが。
「あれ? どこいったんだろ?」
始めから最後までページをめくっても、その一枚が見つからない。
「おかしいなぁ。さっきまであったのに……」
ノートを裏返そうとした、そのとき。机とノートの隙間から、飛び出す影があった。
「わっ」
危うく椅子から転げ落ちるところだった。紙はそっと、床に降りたつ。汚い線から、探していた一ページだとわかる。ノートからきれいに切り離されてある。
「いつの間に、ちぎれたんだろう?」
何気なしに紙を裏返す。そこには、複雑な円の図形がでかでかと書きこまれてあった。
未珠花は、魔法光陣一覧表を引っぱり出し、見比べてみた。しかし、似ても似つかぬものばかり。特定の民族に関する魔法ではないらしい。
謎の円陣は、精密なところまでしっかり描きこまれていた。消しゴムを使ったってびくともしない。
「これ、ペンで書いたやつなの?」
未珠花の筆箱に赤ペンはあるが、黒ペンはない。不思議でたまらない。とにかく早く消したい一心で、修正テープを手に取った。軽やかな音をたてながら、円陣を白く塗りつぶしていった。
「やっと消せた」
安心して紙に手がふれた。するとどうだろう。修正テープの下から魔法光陣が浮かびあがってきたではないか。しかも今度は、青い光をほのかに放って。
未珠花はぎょっとして固まった。気づいたときにはもう、その紙を破り始めていた。
しょせん、丸井のノートがあるのだ。こんな汚いメモは不要だ。怪しい紙きれ、このまま破り捨てて、無かったことにしよう。
一回、二回、三回、ちぎっていく。じゅうぶん小さくなった紙くずを手にまとめ、立ち上がる。未珠花は教室の片すみへ、直進した。
ゴミ箱は、さびたドラム缶をくりぬいてできていた。彼女はその前で手を開く。紙くずはひらひらゆれながら、闇へ吸いこまれていく。
「今日は変な日」
未珠花はぽつり、つぶやいた。自分の席に戻る。と同時に、自分のノートの上に、紙が置いてあるのを目にした。
「ウソだっ!」
未珠花は紙にとびつく。白い用紙には、先ほどと同じ魔法光陣がでかでかと書きこまれてあった。裏には何もなかった。
ガタンッ
「きゃっ!」
突然の物音に飛びあがる。何ごとかと、教室じゅうを見渡した。そして、気がついた。先の物音はどうやら、棚の上に並ぶ本が倒れた音であることを。そしてもう一つ。教室に残っているのは、自分ただ一人だけだということに。
「誰もいない……」
やりきれない不安を抱いた。自分以外、全員がどこかに消えてしまった。まるでそんなあり得ない、いや、あってはならない出来事が、自分の知らない間に起きてしまったのではないか。
このカーテンさえあければ、真実がわかる。
未珠花は恐る恐る、カーテンの影から顔をのぞかせた。
そこには、普段と変わらない運動場があった。未珠花のいる教室とは比べものにならないぐらい、明るく、活気で満ちあふれている。
ドッジボールに燃える男子たち。鉄棒でたわむれる女子たち。なわとびや一輪車で遊ぶ子もいれば、のんびりブランコをこぐ子もいる。
「なーんだ。変な思い違いだったみたい」
安堵する。未珠花の視線はやがて花壇にうつって止まった。ヘチマやオクラ、ホウセンカ、マリーゴールドなど、様々な植物が育つ立派な花壇だ。
そこには小峰と丸井がいた。小峰は、栽培委員の特権で、派手にホースをふりまわす。丸井は、じょうろを片手に笑いながら、余裕で水攻撃をかわしていた。
「いいなぁ」
未珠花は手すりによりかかり、頬づえをついていた。運動場にいる子ども達を見ていると、自分の置かれた現状が、ひどく惨めに思えてくる。
「どこか遠くへ逃げ出したいな」
はっとして、首を横にふった。
何を言っているんだ、私。今までの苦労を水に流すなんて、出来やしないのに! そもそも、ここから逃げられるわけがない。逃げ出してどうする。しっかりしなくては。
冒険物語のように、なんて、夢をみている場合じゃないのだから……。
未珠花は幼い頃から読書が好きだった。特に冒険物語や探検記といったお話に憧れを抱いていた。
しかし、塾の勉強量が増えてきた、四年生くらいからだろうか。逃げてはいけない、その一言で、冒険への憧れを否定するようになった。好きな本を読む時間さえなくなった。
一人娘、周りの大人達からよせられる期待を一身に背負っていた。塾では常に、良い成績でいないといけない。ピアノもバドミントンも、他の習い事はみんな辞めてしまった。すべては『志望校』に受かるために。
中学受験というレールに乗ったが最後、もう二度と降りることは許されない。
それなのに。六年生になり、膨大な宿題と、頻繁な成績評価のプレッシャーに押しつぶされるようになって。限度をこえた疲労は彼女に、諦めていたはずの夢を、たびたび思い返させた。
もし、塾に行かずに済むのなら。中学受験を巡る、この熾烈で不毛な競争から開放されたなら……。
「その本音、大切にしなよ」
たたみかけるように、背後から声がかる。
「ふぇ?」
ふいをつかれ、とんきょうな声を出してしまう。あっと口をおさえてふり返った。いつの間にか、誰もいなくなっていた教室に、いつの間にか男子がいた。彼は自分の席で、分厚い本を読んでいた。
「い、居留江くん! いつからいたの?」
未珠花は控えめに尋ねる。対する彼は、未珠花とは目もあわせないのだが、さりげなく忠告してきた。
「休み時間、あと八分しか残っていませんよ」
「ほんと?」
「時計を見たらどうですか」
黒板の横の壁にかかった時計に目をやる。彼の言うとおりだった。
休み時間が終わる五分前には予鈴がなり、生徒がどっと運動場から戻ってくる。それまでにノートを仕上げておかないと、厄介だ。
未珠花はすばやく席に戻った。裏返していたあの謎の紙が目に入るも、それどころではない。折りたたんで引き出しの奥へしまいこんだ。
「さっきは、時間を教えてくれてありがとうね」
ノートを開き、忙しく書き写しながらも、居留江に話しかけた。
「ところでさ、さっき居留江くん言っていたじゃん? その気持ち、大切にしなって……」
未珠花は隣の席を見た。手が止まる。隣の席はまたしても、空っぽだったのだ。
「変なやつ」
首をかしげつつも、手を動かし始める。
「今日はへんな日」
未珠花の声が誰もいない教室に、響きわたった。